警察の裏金作りの問題が噴出

あんまり縁起のいい話ではないが、もし、あなたの家に泥棒が入った。あるいは出かけた先で交通事故にあった。大事な身内が殺人事件の被害者になってしまった。そんなとき、どなたに限らず、まっ先にすることは110番をするなりして警察に連絡することではないか。

 その場合、東京都民なら警視庁、大阪府民なら大阪府警がかけつけてくる。私は警視庁を信用していないから別の組織にお願いしよう、大阪府警は不祥事が続いているから別のところに頼みたい。そう思ったとしても、そんなわけにはいかない。東京には警視庁以外の警察組織はないし、大阪だって同じだ。

 そこが銀行や、一般の企業と違うところだ。銀行なら不良債権が焦げついて、自己資本比率が下がり、預けているお金が危なくなりそうだと聞いたら、預金者は当然のことながら大事なお金をその銀行から引き出して、別の銀行に移し替える。

 雪印三菱ふそうのように、その会社の製品が信用ならないとなれば、消費者は何も好きこのんで、それらの会社の牛乳や車を買うことはしない。別にいくらでも乳製品や自動車のメーカーはあるんだから、よほどの変わり者でない限り、危険を承知でわざわざその会社を選んでやるお人よしはいない。

 結果として、その会社は社会の中で立ち行かなくなるか、あるいは会社そのものが潰れてしまう。当然のことである。

 だけど警察はそうは行かない。市民がどんなにその警察を忌み嫌っていても、あるいはここ数年、まともに殺人事件を解決したこともないほど、捜査の力がない警察でも市民はそこに頼るしかない。

 その一方で警察にしてみれば、市民をどんなに泣かせようが苦しめようが、あるいは捜査なんかまともにできなくたって潰れる心配はない。何しろ、完全な独占組織、競争相手がいないのだから、ほかの組織に仕事を持って行かれる心配は露ほどもない。左ウチワであぐらをかいていたらいいのである。

 こんな唯我独尊のような組織がいま土台から腐っている。この組織にかかわる人があろうことかこぞって犯罪に手を染めているということになったら、どうなるか。この国の「安全と安心」なんてどこかに吹っ飛んでしまう。いや、とっくの昔に吹き飛んでしまっているのかも知れない。

 またぞろ、警察の裏金作りの問題が噴出している。捜査用報償費不正支出疑惑というやつである。またぞろと書くのには、理由がある。もう十数年前になる愛知県警の「正義の警察官グループ」と名乗る集団からの匿名の告発をはじめ、警視庁、宮城、香川、熊本、高知といった各警察。並べ出したらきりがないほど不正支出が明るみに出ている。なのにまさに、またぞろなのである。

 今回は北海道、面積ではもちろん日本最大の地を管轄する北海道警である。

 ところで、警察の不正支出を取り上げるにあたってまず、「裏金」というおかしな金についてきちんとした説明をしておく必要があると思う。裏金というと一般的には、予算を消化しきれず、余ったお金をプールしておくとか、表向きにはなかなか通らない出費のために、その金を別途、用意しておく、そういった金ととられがちである。もちろん本来はそうした金銭を指すものであることに違いない。

 つまり表向きにできないから、裏金なのであって、あくまで表があっての裏。表から裏に流れる金であるはずなのだ。

 だが、警察の裏金は違う。なんだか判じもののようになってしまうが、裏があってはじめて表がある。金はすべてまず裏にまわり、そのなかの一部が初めて正規の金として表にまわる。「初めに裏ありき」が警察の予算執行なのである。

 予算が国会や都道府県議会によって承認されると、その金は警察庁都道府県警察を通じて警察本部の各部局や各課、各警察署に配分される。そこで本来なら人件費や、捜査費として支出されて行くはずなのだが、警察の場合は違う。すべての金は裏金という悪のルートにまわるのだ。

 そのうえで本当にいる金だけが裏金という悪の洗礼を受けたあと、表の顔としてやっと娑婆に出て行くことになる。

 したがって警察の裏金は、中央省庁や都道府県庁が余った金をくすねて溜め込んでいた裏金とは根本的に違うのだ。まず、そのことを本書をお読みいただく読者に理解しておいてほしいのである。

 たしかに警察の予算はそのような裏ルートを通るとはいえ、必要なお金として、いずれは表の金として支出されて行くのであれば、やり方は悪いが、予算は一応、執行されたことになる。しかしもうお気づきのようにそんなふうにちゃんと表向きの金として予算を消化していたのでは、せっかく最初に裏に流し込んだ金は、いずれはゼロになってしまう。それでは何のためにいったん裏に入れたのか、意味がなくなってしまう。

 そもそも最初に裏に流し込むことにしたわけは、いかに表の支出を減らして、裏にガッポリ溜め込むかにあったはずだ。そのためには、表の支出を装って裏に流しこむ理由づけがいる。そこにこそ、この警察不正支出疑惑の根本があるのだ。

 実は今回、本書のテーマとなっている捜査用報償費の不正支出は、その理由づけの一つにすぎないのである。

 裏の金を減らさないために虚偽の表の支出を作り出さなければならない。そこで窃盗事件や暴力団犯罪の捜査に協力してくれたという人を電話帳などから引っ張り出した人の名前でデッチ上げる。つぎに何十年間にわたって保管されている数百の印鑑からその名のものを押してニセ領収書を作り上げ、捜査用報償費の不正支出、一件出来上がりなのだ。

 このたびは、そのデッチ上げの明細が北海道警旭川中央署から流出してしまった。報償費を受け取ったとされる人物がその時点で死んでいたケースさえあるのだから、まさにウムを言わせぬ証拠である。

 警察庁にとっても全国都道府県警察にとっても驚天動地、激震が走った。

 だが、裏をいかに肥えさせて、表を痩せ細らせるか、捜査用報償費名目だけでは足りるはずもない。そこであらゆる手口が長年にわたって編み出されている。

 課員、署員の超過勤務のデッチ上げ、一人が年間、百何回にのぼるカラ出張、都道府県幹部や議員を飲み食いさせたことにした架空接待、ニセの物品購入、食ってもない弁当、夜食の支給、やってもない施設の補修、開かれた形跡のない記者との懇親会……。

 よくもまあ、これほどまでにと“先人の知恵”に感じ入るばかりだが、では、最初から日の当たる表を見ることもなく、いきなり裏の預金口座に流しこまれたこれらの金は、一体、誰が最後は懐に入れたのか。いつ、どこで誰のために使われたのか、その行き先については本書をお読みいただきたい。

 いずれにしてもまず念頭に置いておかなければならないことは、こうした警察の不正がたまたま良からぬ警察官がいたことから始まったとか、たまたま予算が余ってしまったから起きたという体質のものではないということである。

 最初から不正なかたちで予算をプールし、不正な形で支出するという予算詐取集団として、警察組織が存在したということなのだ。言い換えれば警察そのものが犯罪集団だったのである。そんな組織に代替の機関もないまま、市民は犯罪捜査を任せ、社会の安全と安心を委ねているのである。

 いまでは警察に不正がなかったと信じて疑わない国民なんて誰一人としていない。北海道から火を噴いた疑惑は、燎原の火どころか、燃え盛る山火事のように宮城、静岡、福岡、高知といった県警で、火の粉を噴き上げている。その一方で、多くの国民は、これほどの不正が何十年という長期にわたって日常的、恒常的に行なわれていながら、なぜ、いままで根源的な追及がなされなかったのか、強い疑問を抱いていることも確かなはずだ。

 そういう意味ではメディアの罪、とくに全国紙といわれる大手新聞の罪は深い。

 だからこそ、今回、北海道の地から事件の口火を切ったばかりではなく、その後もあらゆる妨害のなかで、追及の手をいまだに一切、緩めようとしない北海道新聞の勇気と努力には、尊敬と敬服する以外にない。その意味で、本書は、まず北海道新聞の裏金追及の取り組みを語っていただくことからはじめたい。

 だが、案の定、その一方で山火事の火消し、幕引きに必死の警察庁に対して、全国紙はまたぞろ手を貸そうとしている姿が見え隠れする。だからこそ、本書はその警察の募引きの様子から書き出すことにした。